創価学会
今年(令和6年9月12日)、東京大学法学部卒、創価学会元副教学部長の要職にあった須田晴夫氏が創価学会の教義の基本となる『創価学会教学要綱』について、教義の根幹の誤りを糺すよう、現創価学会会長 原田稔氏に対してその改訂を迫る手紙を出し、学会本部は騒然となったものの回答を無視している。
以下、その抜粋を掲載いたします。
端的に申し上げて『教学要綱』の内容にはさまざまな問題があり、創価学会の教義を将来にわたって規定する「教義書」としては適切でないと思われます。
『教学要綱』を作成した中心は創価大学名誉教授の宮田・菅野両氏であると聞いておりますが、両氏は研究者としての立場から、日蓮学アカデミズムの主流である身延派日蓮宗から批判されることを恐れて、ひたすら身延派に忖度している態度が顕著です。そのために『教学要綱』全体が身延派の教義に同化していると判断されます。
例えば『教学要綱』では日蓮大聖人について、最後まで「上行菩薩としての役割を果たす立場である」(同書43頁)として「日蓮=上行菩薩」との認識を貫いていますが、大聖人を釈迦仏から末法弘通の役割を託された「釈迦仏の使い」であるとする認識は身延派の教義そのものです。これまで創価学会は、大聖人が上行菩薩であるというのはあくまでも外用の姿であり、大聖人の内証は久遠元初自受用報身如来であるとしてきましたが(2015年 創価学会教学部編『教学入門』171頁)、『教学要綱』は「久遠元初自受用身」の用語を一切用いず、従来の立場からすれば専ら外用の位置づけにとどまっております。
もちろん『教学要綱』も大聖人について「末法の御本仏」としていますが、それはあくまでも「釈迦仏の使い」としての存在であって、従来のように久遠元初自受用身という根源仏としての意義づけにはなっておりません。
大聖人を上行菩薩の再誕と位置づけ、「釈迦仏の使い」とすることはあくまでも法華経文上での話であり、曼荼羅本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮 (花押)」と大書し、釈迦仏と多宝如来を左右の脇士の位置に置かれた大聖人の内証の教示とはかけ離れております。
また『教学要綱』は「一大秘宝」と「法宝」についても従来の曼荼羅本尊から南無妙法蓮華経の題目にあらためておりますが、拙著で詳しく述べました通り、これもまた身延派の教義そのものです。このように『教学要綱』では身延派と同化している内容が余りにも目立ちます。
『教学要綱』が「本因妙抄」「百六箇抄」「御義口伝」の名前すら出ていないことも、これらを偽書としている身延派から突っ込まれることを恐れる『教学要綱』執筆者の在り様を示していると思われます。
日寛上人の教示に対しても『教学要綱』は多くの点で違背しており、「本因妙抄」などの相伝書を一切無視していることと合わせて、『教学要綱』が日興門流から離脱する指向性を持っていることは誰の目から見ても明らかです。
日蓮正宗から離れて三十年以上経過した今日、『教学要綱』が日蓮正宗を否定して創価学会独自の教義を形成しようとする意図は理解できますが、日蓮正宗を拒絶するあまり日興門流の根本教義まで日蓮正宗と一緒くたに否定するのは誤りであると思われます。なぜならば、創価学会は創立以来、日蓮・日興という師弟不二の血脈に日蓮仏法の正統性があるということを大前提にして今日まで存在してきたからです。
形式的には今でも日興門流の教義が日蓮正宗の教義になっておりますが、日蓮正宗が邪教化したからといって日興門流の教義自体までが初めから間違いであるということにはなりません。日興門流そのものが邪義であったというのであれば、創価学会そのものが当初から間違いだったということになるからです。
(略)
日蓮正宗は創価学会の破門処分を強行したことによって日蓮大聖人と日興上人に違背し、日興門流としての正統性を喪失したのであり、日蓮正宗と日興門流の教義は立て分けて考えなければならないと思います。日蓮正宗が邪教となったとしても、日興門流の教義の正しさは揺らぐものではありません。日興上人が後世に正しく伝えられた日蓮仏法は日蓮正宗などという一宗派の占有物ではなく、人類全体のために遺されたものであるからです。
以上にような内容で、創価学会の教義の誤りを糺すよう進言しています。
*恵日 20242月号(「一」の字の両義) 3〜8月号(「観心本尊抄」その1〜4)をご覧ください。