昭和52年の年明け早々(1月15日)、創価学会は聖教新聞紙上で池田会長『仏教史観を語る』をトップ記事で紹介し、創価学会の日蓮正宗からの独立を宣言しました。
これに呼応して、創価学会の独立路線と教義に対し批判的な正信覚醒運動に立つ僧侶を創価学会本部へ呼び出し、長時間に渡り大勢の大幹部が取り囲み、正信の僧侶に対し恫喝と吊るし上げが行われました。
この報告書はその時に、当時の原田副会長(現創価学会会長)へ大幹部の竹岡氏が報告したものです。
菅野憲道師(当時、千葉・蓮生寺住職)が日蓮正宗教学研究機関『富士学林』が発行する『富士学報』第5号へ
『昨年度創価学会総会における、御法主上人猊下の御指南中「広宣流布」と「本門寺」についての所感』と題する
論文を発表したことに端を発しています。
数百万の会員を擁するようになった創価学会は、正本堂落成を機に宗門支配、独立を画策することとなり、これまでは宗門外護団体としてきた位置付けを、突然に「舎衛の三億」の例を上げ、日本人口の1/3が入信していれば、「広宣流布」は達成されたと主張。大石寺に対し「本門寺」と改称するよう、また、「不開門」を開けるよう要求し、その後は「広布第二章」という名目で宗門の支配、独立を計ったものでした。
菅野憲道師はこうした創価学会の誤った信仰感に対し、「広宣流布」「本門寺」とはどのようなものかを、宗門の教義に則り分かりやすく論文にて発表し、その誤りを指摘し、当時の御法主日達上人猊下はこれを優秀論文として、目を通し、『富士学報』に掲載されたものです。
当時の日蓮正宗教学部長・阿部信雄(後に日顕と名乗り猊座を詐称)はこの論文を学会批判と受け止め、創価学会の歓心を得るべく学会本部へご注進とばかりに届け出ています。
こうした事態を受けた創価学会は『学会に弓引く者』として、批判派僧侶を次々に呼び出し、恫喝、吊るしがげ行われました。こうした体質はこの時に始まったものではなく、過去にも池田大作氏が中心になって行われた宗門僧・小笠原慈聞師の吊るし上げ事件(狸祭り事件と呼ばれる)にも見られるように創価学会の体質といえます。
(*詳細経緯は正信覚醒運動略年表をご覧ください。ホームページ右サイドメニューからご覧いただけます。)
本来、正信の僧を守べき早瀬総監、教学部長が創価学会側に立ち、7〜8時間にも渡る学会の正信の僧侶に対する詰問、土下座の強要を黙殺したことは斬鬼に耐えません。信徒数数百万まで成長し、強大な財力、政治力を有する創価学会に媚辛い、本来の日蓮正宗の教義を貫くことを捨て去り創価学会の財力に委ねてしまい、正信の僧を見殺しにしてしまう姿には日蓮大聖人の末弟の姿はなく、また資格もないものと思います。